面白さの「有害性」と、無害化されるエンタメの時代について
近年、「面白さ」そのものの在り方が問い直されています。
その背景には、SNSを通じて多様な立場・視点の人々の声が
可視化されたことがあると思います。
かつて「面白い」「良い」とされてきた表現が、誰かを傷つけている可能性がある(あるいは、「傷ついた!」という声が簡単に表現者に届くようになった)──そうした“面白さの有害性”が問題視されるようになったのでは、と。
経済的にも「炎上リスク」は企業にとって大きな損失となるため、コンテンツ制作の現場では“無害化”が重視されるようになってきました。
その結果として、「無害化されたホモソーシャル」(QuizKnockが例としてよく挙げられます)といった新たなトレンドが現れています。
三宅香帆さんが指摘する「ぬい化」も、この流れと地続きにあると思います。
“好きなもの”をぬいぐるみのように具体化して語る動きは、自分の「好き」を通して自己を穏やかに表現する行為であり、同時にその“好き”が自分を象徴するラベルにもなっている。だからこそ、人々はできるだけ「攻撃性のないもの」を好きの対象として選ぶ傾向があるのではないでしょうか。
(倫理的に問題があるものをそもそも好きにならないというのも勿論ありますが)
攻撃性や皮肉を伴う笑いは評価される一方で、時代の要請として「誰も傷つかない笑い」「純粋に面白い笑い」への志向が強まりつつありますね。
では、「純粋な面白さ」とは何か。
それは、知的好奇心や共感を刺激する“知の面白さ”に近いものかもしれません。人が「面白い」と感じるのは、「興味深い」「楽しい」「粋である」といった感情を呼び起こすときであり、それらは一定の知識や理解を前提としていると考えます。
今後はより多様な知を媒介にした
「面白さ」が増え
“誰も傷つけない”
“誰も置き去りにしない”
面白さが、
これからのエンタメの理想形
だと思うのです。
だから、今後は
知識を補填する介助のような役割が
より一層重要になってくると思います。
プレバトに夏井先生がいてくれるおかげで
私たちが俳句を楽しめるように。
あれ、でも
夏井先生って結構
攻撃的なような…
(ああいうプロレス的なお笑いは
まだまだ許されてほしいと思う
今日この頃です)
店名
グランドオペラ福岡福岡