私、昔から「判官贔屓」という言葉が好きなんです
判官贔屓とは、弱い立場にある人や、不遇な境遇にある人に肩入れすること
「判官」は源義経のこと
兄・頼朝に追われ、悲劇的な最期を迎えた義経に人々が同情を寄せたことから、この言葉が生まれたとされています
面白いですよね
勝っている人より、負けている人に心を寄せる
成功した人より、報われなかった人に胸を打たれる
もちろん、努力して成功を収めた人は素晴らしいと思います
例えば、大谷翔平選手のようなスーパースター
圧倒的な才能と努力で、誰もが認める結果を残す
それは本当にすごいこと
でも、私は昔から、そういう圧倒的な勝者に対して、憧れの気持ちがあまり湧かないんです
アメリカンヒーローのように、どんな敵にも立ち向かい、最後には勝利する
そんな絶対的な強さにも、そこまで心が惹かれない
じゃあ、何に惹かれるのか
それはきっと、勝ったか負けたかでは測れない、人間の生き様なんだと思います
たとえ負けても。
たとえ報われなくても。
たとえ誰にも認められなくても。
その人が貫いたものや、守ろうとしたもの、最後まで手放さなかったもの。
そういうところに、美しさを感じるんです
義経もそうだし、忠臣蔵もそう
『平家物語』だって、栄華を極めた者たちがやがて滅びていく物語
勝者の成功物語だけではなく、滅びゆく者たちの姿にも心を動かされる
「勝者だから正しい」
「敗者だから価値がない」
そんな単純なものではないんですよね
負けたけれど、美しかった
報われなかったけれど、価値があった
私は、そういう物語に惹かれるのかもしれません
桜だってそう
満開の桜はもちろん美しいけれど、散っていく桜にも心を奪われる
ずっと咲き誇っていてほしいと思う一方で、散り際にこそ感じる美しさもある
日本人って、そういうものに心を動かされる感性を持っている気がします
もちろん、日本人全員がそうだというわけではないけれど…
効率がいいとか、勝ち組だとか、どれだけ得をしたとか
そういう尺度だけでは測れないものが、この世にはたくさんある
報われなかったもの。
散っていくもの。
日の当たらない場所にあるもの。
誰にも気づかれずに、ひっそりと存在しているもの。
そこにも価値を見つけたい
だから私は、判官贔屓が好きなんです